ふとした事がきっかけで、独身の頃に住んでいた街を訪れた。小田急線から見える、5階建ての賃貸マンション。
駅から5分ほどのその建物の角部屋にかつて俺は住んでいた。
1Fのレストランバーからは、あの日と変わらずに立ち昇るペペロンチーノの香りが迎えてくれた。これを嗅ぎながら、かつての俺は凝った装飾の螺旋階段を登って自分の部屋に辿り着いていた。
扉を開け、真っ暗な部屋に電気を灯す。
無言で出迎えてくれた自分好みのインテリアの部屋に、かばんと服を脱ぎ捨ててユニットバスで熱いシャワーを浴びる。
そして髪も乾ききらない間に作った簡単な炒め物をおかずに、遅い夕食をとりながら窓の外の夜景を眺める。
大事なものを失った喪失感の中で過ごした、20代後半の1人暮らしの日々。
若者期間の終焉を控え、まるで今までの人生をおさらいするように色んなことを経験した。生きるために何を選び、そして何を棄てるべきか。横から口出しする人はいないけれど、その代わり全ての結果を逃げずに受け入れるということ。
俺が住んでいたあの角部屋には、いま新しい灯りとカーテンが見える。毎日当たり前のように開けていたあの扉は、もう永遠に開けることはできない。
こちらの都合などお構いなしに、どんなときも時計は冷徹に針を進めていく。だからこそ、もう戻れない過去に想いを馳せたくなる時がある。