2002. 08. 07.
昨日は深夜に帰ってきたので、起きると既に時計は10時を回っていた。
他の2人のライダーは、一足先に稚内を目指して北の方角へ走って行った。
昨日の雨がまだ降り続いていて、今日は朝からレインスーツの世話になりそうだ。
さぁ、行こうか。
ギヤを1速に入れ、クラッチを静かに繋ぎながら走り出す。
そして、町から深い森を抜け、フェリーターミナルの街苫小牧へ通じる国道453号へ入る。
走り出して、すぐレインスーツのありがたみが身に染みる事になった。
速度上昇に比例して次第に強くなる雨滴をいとも簡単に跳ね返してくれる。
こいつのおかげで、どんな天気でも走り続ける勇気がわいてくるんだ。
今日は青森行きのフェリーに乗らなければならない。
しかし、最後にもう一度だけ無料露天温泉に行きたい!
そんな僕は、迷わず「オサル湯」を目指す。
「オサル湯」は、山々に囲まれた国道453号沿いの集落・蟠渓温泉地区の隅にある。
長流川沿いに湧き出る湯船は、増水時には水没するというワイルドさだ。
札幌や苫小牧の都市部から比較的容易にアクセス可能という事もあり、本州と北海道のライダー双方に人気だという。
「よっしゃーこれが最後の温泉だっ!!」
川へ降りると既に先客が5人ほどいた。流石は人気の温泉だ!
10分ほどまったりしていると、更に4人来るほどの盛況っぷり、である。
30分ほどゆっくり浸かり、タオルを頭に巻きながらバイクまで戻ると、既に雨があがっていた。
まだ濡れているアスファルトから白い水蒸気が幻想的に立ち上っている。
『ドドドドドドドド』
走りだすと、ライダーはたちまちいろんな音に包まれはじめる。
ヘルメットの向こうから聞こえてくるのは、様々な旋律たち。
乾いた低い排気音。
道路沿いの川のせせらぎ。
心地よいエンジン音。
飛びかう鳥のさえずり。
アスファルトとタイヤの摩擦音。
深い森の木々のざわめき。
ウインドシールドから聞こえる風切り音。
数々の旋律はやがてオーケストラとなって、壮大なハーモニーを奏ではじめた。
しかし、もうすっかり聴き慣れた北の大地の交響曲はそろそろ終わりに近付いていた。
僕は深呼吸をした。
「そろそろお別れだ・・・」
ヘルメットをかぶり直した俺は札幌へと向かう。
帰りのフェリーに乗る前に、昨年亡くなった祖母が住んでいた札幌市北区へ行ってみたい。
そう思った僕は、札幌大通り公園横の道路を北区へと向かっていた。
信号が青に変わる。
スロットルを回しながら、クラッチを繋ぐ・・・
「・・・ん?気のせいか車体が重いぞ??」
ちょっとした違和感が俺を襲う。
そして信号を左に曲がった・・・その時だった!
ズギャギャギャギャギャ!!!
!?
SPITFIREの後輪がいきなり横滑りをし始めた!
峠の走り屋の車みたいにカウンターを当てながら、静かに道路わきに停車させた。
「こ・・・これは・・・・!!!」
後輪がパンク!?
こんなところでパンク・・・どうしよう。
苫小牧のフェリー出航まであと3時間しかない。
パンクを直そうにも、札幌中心街のバイク屋なんて全然知らない。
当日のキャンセルなんてできないし、このシーズンだと翌日以降のキャンセル待ちもほぼ無理だ。
「どっかで直してもらうしかないな・・・あのガソリンスタンドでやってもらおう!」
知っている人は知っていると思うが、パンクしているバイクを運転するのは厳禁だ。
極めて不安定であるだけでなく、ホイールリムを痛めて修理不可能になってしまうからである。
加えて、荷物満載状態のSPITFIRE。押して歩く以外に選択肢は存在しえない。
「うぉりゃーーー!!!!!」
降りて、渾身の力で押す!!
しかし、つぶれた後輪が抵抗となり、車体は全く進まない。
「しょうがない、非常時だからな・・・」
仕方なくエンジンをかけ、1速でゆっくり進ませながら車体を押す。
そして、200m先のガソリンスタンドに行き着いた。やった!と思ったのだが・・・
「申し訳ないんですが、うちはチューブタイヤは修理できないんですよ・・・え、バイク屋ですか?確か北海道大学の近くに大きいのがあったと思いますよ。1kmほど先ですけど」
10分後。
動かなくなった、でかいバイクを歩道で押して歩く僕がいた。
物珍しそうに振り返る通行人達。下水道工事のおっちゃんが声をかけてくる。
「オー兄ちゃん、故障か?ハーレーは重いから大変だなぁー」
(ハーレーじゃないってば・・・えーと、あと2つ目の信号を右だったかな・・・)
夜の札幌でフル装備で330kg近くになった車体を汗だくで押す。
(重い・・・走らないバイクってこんなに重いとは・・・バッテリー上がりのミニバンを押した時を思い出すぞ・・・)
ふと、さっきから視線を感じる。見ると、そこには制服の女の子がいた。地元の高校生か。
心配そうな目でこっちを見ている。
(・・・かっこ悪いけど頑張らなきゃ)
ちょっと無理な笑顔を作り、ダサい俺はバイク屋の看板目指して再び歩き出した。
そして、やっとバイク屋に到着。
工賃を浮かすために装備を自分で全部外して、修理をお願いした。
本来ならこの店で買った俺のバイクは修理はできないはずなんだけど、やっていただきました。
レッドバロン環状北大店のスタッフの皆様。本当にありがとうございました。
突然のトラブルで大幅に時間を消費してしまったので、この時点でフェリー出航まで2時間しかない!
祖母の家をキャンセルし、国道36号を南へぶっ飛ばす。
搭乗時間には遅れそうだったけど、不思議と焦りは無かった。
またこうして走れる事がこんなに嬉しいとは・・・
2時間後。
やさしい風が吹くフェリーの展望デッキ。
オレンジ色の苫小牧の工業地帯の夜景が船体を照らしている。
出航を告げる、独特の低い汽笛の音が響く。
柵から身を乗り出して手を振る者、それに応える地上の見送る者。
港町の出航の風景の中に僕はいた。
この大地で、少しだけど僕は確かに旅人として生きた時間があった。
きっと、自分の長い人生の中で今までと違う何かが始まったきっかけになる。
そんな確信が、夜の苫小牧のネオンのように輝きはじめていた。
人は何故生まれてきて、生きていくのか。
地球上に存在している全てものに意味があるならば、我々にも何かの使命があるのではないだろうか。
使命・・・僕は、彼らを探し続ける。
誰かに命じられたわけでも頼まれたわけでもなく、自分の中から湧きあがった意思で決めた。
これから続く長い人生の中で、その”SPIRIT”を探し続けると決めた。
さようなら、北の大地。