連日報道されている、高齢者の暴走死傷事故。

右直事故、高速道路逆走、アクセルブレーキ踏み間違え、多い日には1日2件報じられることもあるが、それはあくまで人間の死傷を伴う人身事故。それは恐らく氷山の一角でしかなく、ハインリッヒの法則ではないが物損事故も含めると相当な件数に上るのではないだろうか。実際に公道を走っていると時々フラフラ走る高齢者の車に遭遇するが、大抵四隅が傷だらけのベコベコで色々ぶつけまくってるのが一目瞭然だ。

とにかく運転免許の更新が甘すぎる。

居眠りしてても受かる学科のみの講習を筆記試験にし、更に実技試験を取り入れるべきだ。そうやって技能的に水準に達しない人間を排除すればいい。こう書くと「厳しすぎる」「生活できなくなる」という声が聞こえてきそうだが、ならば試験で落とされないように前もって対策すればいい。受験を控えた学生たちに大人がそう言い聞かせているように。資格というのは本来そういうものだし、特に学科はそこまで難しい内容ではないはずだ。

旅客機のパイロットは一度なってしまえばずっと飛び続けられるものではなく、1年ごとに行われる技能審査や身体検査に合格できなければ乗務を外される。しかし車の場合、場所によっては40万円にも達する世界一高い教習代を払えばどんなに運転に向いてない人でも免許が買え、棺桶に入るまで運転し放題だ。これはどう考えても甘すぎる。

また、75歳以上になると3年に1度実施される高齢者講習についても実施年齢や頻度に疑問が残るが、そもそも車を運転できなくなった後のライフプランが想定されていないこと自体がおかしい。ある日、高齢者が「あなたの運転技能は一定の水準に達しないから降りなさい」といきなり言われたとしてもそんな事できるはずもない。スーパーで食材を買い込んだり伴侶を病院に送り迎えしたり、生活の大きな柱である車の運転をいきなり止めろだなんて死の宣告に等しいからだ。

そうなると、車を手放しても日常生活を維持できるよう行政側のバックアップが欠かせない。路線バスの高齢者パス、タクシーチケット、または自家用車での乗り合いなどを、草の根や自治体レベルではなく政府としてとっくに制度化しなければならない時期に来ているはずだ。
また、変わるべきは行政側だけでなく高齢者側の意識にも言えるのではないだろうか。あえて批判を恐れずに書くが、人間は誰でも加齢と共に少しづつ体力が落ちていく。衰えを知らない生き物など存在しないのに、若い頃の感覚でいつまでも動けると思い込んでいる方がおかしいのだ。いつかは運転ができなくなり、歩けなくなり、そして動けなくなる。人は赤ちゃんから幼児、少年になるにつれて行動範囲が広がっていくが、それが老人になるにつれて逆に狭まっていく事を想定して長期的なライフプランを立てるべきなのだ。
Akitoの両親ももうすぐ70代だから他人事ではないが、これは高齢者を叩きたくて書いているのではなく、自分用に綴ったメモ書きでもある。