最初の試練②

最初の試練②

クラッチケーブルの切れたロードグライドで渋滞をすり抜けながら、僕は次の手を考えついた。

走りながらインターコムでiPhoneのSiriを呼び出し、自宅から最寄りのHDディーラーに電話を掛けた。用件はレッカーの手配ではない。

「もしもし、2011年式ロードグライドウルトラのクラッチケーブルの在庫はありますか?」

藁にもすがる気持ちで問い合わせたのだが、回答は残念ながら”No”。ダメモトだったがやはり無かったか。

クラッチケーブルは車種や年式ごとに微妙に長さが違うため、バリエーションが星の数ほどありピンポイントで在庫がある方が珍しいからだ。仕方ない、あとで自分で手配しよう。

やがて横浜町田ICからETCゲートを退出し、いよいよ一般道へ。高速と違って片側1車線ですり抜けるスペースもなく、今一番出くわしたくないStop&Goが当たり前に繰り返されていることだろう。つまり、普段なんとなく通っている地元の道が電撃イライラ棒のようなテクニカルステージに豹変してしまったので、一番信号の少ない道を脳みそフル回転でナビゲーションしながら必死にルートを辿り出した。何といっても赤信号や渋滞で止まった後に再発進する方法はないのだ。

前方の信号や車の動きに全神経を注ぎ、少しでも止まりそうな兆候があればかなり手前から1速のアイドリング回転数へ減速。何とか止まらずにノロノロ進み、ちょうど再発進のタイミングで追いついて進むもののスピードを上げすぎない…という走りをクラッチレスシフトチェンジをしながら必死でこなす。

時折ノロノロ走行中に後続車がミラーいっぱいに迫った時はすぐさま路肩に寄せて「先行って」のハンドサインでパス。よし、これで普通の赤信号は攻略できるぞ。

しかし、やがて右折矢印のある大きな交差点に差し掛かった。ここで右折しなきゃ帰宅できないが、今進めるのは直進と左折だけで右折は赤の状態だ。右折車線で一度止まったら再発進は無理だ。

「だめだ終わったー…」

いよいよ大ピンチだが、下手に右折車線で再発進できずにモタモタしてたら後続車からクラクションの集中砲火に違いない。ここはひとまず原付みたいに2段階右折をしてみようと思い、左車線から交差点を直進しながらギアをニュートラルに叩き込んで交差点のカドで一旦止まった。

そう、遂に止まっちゃった。

続いて直交側の信号が青になったものの、半クラ無しでエンストせず発進できるわけがない。えぇい仕方ない、とロードグライドから飛び降りた僕は、渾身の力でロードグライドを押しながら横断歩道を渡り始めた。

420kgの巨体が横断歩道をゆっくり渡り始めたので何やら視線を感じるが、そんな事気にしてる場合じゃない。こいつをどうやって再発進させれば…

ん、待てよ。

今こうして押している状態では駆動輪がゆっくり回っている。エンジンはニュートラルでアイドリング状態だけど、もう少し速く押して1速に叩き込めば理論的にはエンストせず発進できるんじゃね?

これだ!!

うぉぉぉ進めーー!!!

フルパワーでロードグライドを押すと、徐々に小走りの速度まで上がってきた。横断歩道はとっくに渡りきっていて、隣の車道はゆるい下り坂だ。しめた、いける!

僕はすかさず右足のつま先でシフトレバーを1速に叩き込む。

「ガトン!ギュギュッ!ドッドドド!!」

一瞬暴れ馬のように跳ねながらエンストしかけるも、すかさずスロットルを上げると一瞬ホイールスピンしながらも車体は加速を始めた。

やった!再発進成功だ!!

押し歩き状態のまま加速体勢に移行してしまったので、横乗り状態のまま右足でシフトアップをしてゆく。そしてタイミングを計って飛び乗り、跨り直すことができた。

自宅まであと3km、このまま行ってくれ!

しかしそんな思惑とは裏腹に、長い赤信号に3回出くわしてはその度に420kgの地獄の押し歩き発進を強いられたのだった。

そんなこんなで、遂には自宅まであと700mほどの地点に差し掛かった。ここは緩い登り坂の狭い道で、更に幹線道路の裏道で交通量も多いため車同士がすれ違いに難儀して止まってしまう事もしばしば。つまり、登り坂+再発進+交通量多し、という恐ろしい3大要素を全て備えたラスボス的なファイナルステージなのだ。

とかアホな事を考えてるうちに、早くも前走車がすれ違いのためにみるみる速度を落としていくではないか。

「止まるな、止まるなよ…行け行け!止まるな…あー駄目だッ!!」

慌ててブレーキを踏むと、1速に入れたままだったのでガクガクと車体が大きく揺れながらエンスト。ミラーを見ると後続車がずらりと並んでいるので、車体から降りてニュートラルに入れて路肩に寄せ始めた。ぐぎぎ…クッソ重い!

気が付けば汗だくになっていたのでヘルメットを脱ぎ、路肩に止めたロードグライドのツアーパックにジャケットとグローブを放り込む。

どうしよう…登り坂で止まっちまった。

ここからの押し歩き発進はできない。ニュートラルギアでのアイドリングを1速に叩き込んでもエンストさせないためには、10km/hぐらいまで加速させる必要がある。今までは平坦な道や下り坂たったからそれができたが、この登り坂で巨岩のような420kgをそこまで加速させることは1馬力もない人間には不可能だ。

…悔しい。

もう自宅までは歩いて帰れる距離なのに、たとえエンジンを掛けるのを諦めたとしても押して帰ることすらできないのか。

ここでレッカーを呼ぶか?

…いや冗談じゃない、ここまで来たのに諦めてたまるか。

そう思いながら何となく来た方向を振り返った。

「待てよ…登り坂の逆方面は下り坂だからこっちなら押し歩き発進ができるぞ」

ただし、家と反対方向なので180度Uターンを決める必要がある。道幅は車同士がすれ違いに難儀するほど狭く、ハンドルをめいっぱい切ってUターンする必要があり、おまけに半クラすら使えないので速度をあまり落とせない。つまり、1発で豪快にUターンをキメなければならない。ビビってエンストしたらバランスを崩して即転倒してしまう。

さあどうする?

…のるか?そるか?

「行くしかない!」

もはや疲労困憊の最後の力を振り絞り、アイドリング状態のロードグライドの押し歩き発進を開始した。下り坂で1速に叩き込んで飛び乗ると、車体を道路外側にギリギリに寄せてから一気に右に倒し込んだ。Uターン開始だ。

「対向車なし!今だ!!」

半クラが使えないので1速リーンアウトでフルバンク、右側の視界にアスファルトが迫る。道路と直交するぐらいまでターンすると、早くも目前に壁が迫ってきた。

ぐぎぎ、覚悟はしていたけど道幅が狭い!

エンストしないようスロットルを開けながら、オーバースピードにならないようリヤブレーキで無理矢理抑え込む。よもや半クラが使えないだけでこんなに怖いUターンになるとは。

全神経を使いながらも、あと少しで壁ギリギリをかすめようとしている。あとはスロットルを開けながら立ち上がるだけだが、開けすぎれば壁に一直線、開け方が足りなければバランスを崩して転倒してしまう。

決してお前を倒してなるものか。

絶対に無傷でうちまで連れて行く!!

「よし、行っけー!!」

スロットルを開くと、アスファルトを蹴飛ばし始めた後輪がフルバンク状態の車体を一気に引き起こした。登り坂を一気に駆け上がり、シフトアップしながらそのまま自宅の駐車場へ。

「着いた…」

かくして僕は、クラッチワイヤーが切れながらも自力で自宅まで走り切ることができた。

ホッとしている暇はない。エンジンが暖まっている今しかできない事がある。

早速ジャッキアップし、オイル交換を始めた。納車に備えて予め用意しておいたエンジンオイル、ミッションオイル、プライマリーオイルだ。この作業は本当に久しぶりだったので、ミッションオイルのドレンボルトの位置が思い出せずにネットで調べたほどだ。

新しいミッションオイルは、今後クラッチケーブルの交換作業でミッションカバーを開ける事になるので、その後に投入することにしよう…

「ふぅ…今日は全部やり切ったぞ」

ロードグライドに乗るための最初の試練、まずはクリアできた…ことにしよう。